徳島時代
徳島時代
1913年7月 徳島に隠棲した彼は、コハルとも死別。追慕の念を胸に、16年の執筆活動に専念した時代です。置時計
コハルが結核で入院中、薬の服用時刻を守る為に枕元に置いた米国アンソニア・クロック社製の目覚まし時計です。(個人寄託)五・七・桐の盃
出所・由来が不明の盃。五七の桐紋は日本政府を象徴する紋章で、国家的な記念行事の品とも推測されます。(個人寄託)茶盆
会席膳で八寸と呼ばれる漆塗りの盆で、下面四隅には半割クルミの脚付き。宇治山田・橋本佐兵衛作の一等品です。膳椀・皿
蓋付磁器製ご飯茶椀・蓋付漆塗汁椀・中皿、各ニ客。コハルとの死別後も、二客の器は離れなかったものです。なぎなた穂先
軍人であった気概と古武具に対する知識欲の深さから、薙刀や槍の穂先、日本刀などを好んで収集しました。(徳島県立図書館寄託)遺髪
東海寺で寄託している仏壇に保管されていたモラエス・おヨネ・コハルの遺髪を分髪し、それぞれ試験管に封入しています。(東海寺預り(個人所蔵)永久寄託)脇息
モラエスは脇息を愛用しました。布製の表面は擦り切れ状態となって、いかに使い込んだかがうかがい知れる品です。(個人寄託)モラエス書斎再現コーナー
西向き四軒長屋の南端にあった居宅2階書斎を再現しました。飾り棚・座机・鉄火鉢・鉄瓶・座布団・行燈・煙草盆などがあります。モラエス居宅内写真
在世時の書斎。西窓辺に据えた座机の周辺には、様々な道具に混じって愛しい人々の写真も飾られていました。妹フランシスカに宛てた最後の葉書
最愛の妹フランシスカに宛てた7枚の葉書。最晩年(逝去23日前)のものは、手が震え判読が困難な状態です。名刺
徳島隠棲時の名刺。職名に「元」が付き、現在は「肩書-零-」を示しています。裏面はポルトガル語です。モラエス直筆原稿
モラエス作の詩『アメリカ娘』。”アメリカ娘を知っている。遠くにいても想い出す。顔はバラ色。目はブルー”。モラエス直筆封筒
T10.3.28付マカオ行、T12.7.11付リスボン行の封筒。親友の子息F.シェダス砲兵少尉宛ての手紙です。絵葉書パネル(モラエスの絵葉書書簡(岡村多希子訳)より)
愛妹・シーカ宛て609通の絵葉書のうち、徳島の名所旧跡の11枚です。活動的な隠棲の日々が浮かびます。
著者名/モラエス 翻訳者名/岡村多希子 発行者/彩流社
明治天皇写真小額
2歳年上の明治天皇には、観艦式や京都御所で拝謁。書斎内に奉安し、朝夕礼拝するほどの敬慕ぶりでした。絵葉書
軍服姿の第122代(明治)天皇と、初めての洋装皇后だった美子(はるこ)皇后を掲載した絵葉書です。モラエスの孫たち
孫ベイジルは旧教系高位聖職者となり、1982年英国で没。孫娘マーガレットは英国大富豪と結婚し英国没しました。モラエスの家族
姉エミリア(2枚)、甥(姉の子)ジョアキン、妹フランシスカ、妹+義弟(夫)パウル、モラエス、長男ジョゼが写っています。